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2015.08.09
2015/08/09(Sun)
2015.08.01祖母が94歳で他界しました。

その日は、早朝からゆーたんがなかなか寝付かず気になって眠れなかった。
寝かそうと、母乳を与えてる最中の8時半頃スマホがブーブーブーと何かのお知らせをしてきた。
こんな朝早くなんだ?とみて見ると父親からの電話。
「もしもし?」
「あ、ゆき。今、たみちゃんが亡くなったから。」
「え?え!?なんで!?」
そう、ばーちゃん何度も何度も危篤に陥っては脅威の復活をとげ
7月にはまた大部屋に戻り、毎日おしゃべりをし、ご飯を食べれるほどだった。
あたしが15日に出産し21日に退院。
その週身の回りのお世話をしてくれるべく母親がきてまして
そのときにばーちゃんの容態を聞いていたから驚いた。
まだ死とはかけはなれてる話だったからだ。
あたしの驚いた声と電話を切ったあとに耐えれず涙するあたしに気づいて
ダーリンがどないしたん?って。
涙がなかなかとまらなかった。

ばーちゃんは小3からアタシが社会人1年たつまで一緒に過ごした。
小学校のころは、ばーちゃんにかなり面倒かけました。
食べ物は美味しいところしか食べず、
たとえば、スイカの三角の上のところ。種のところはばーちゃんが食べたり。
南瓜も柔らかいところだけ。皮のところはばーちゃん。
甘酒もこして、粕はばーちゃん。
他にも、体操服を忘れ今すぐ持ってきてと走らせて持って来させたり。
一緒に算数の勉強もした。
あたしが太刀魚の塩焼きが好きだからって太刀魚が商店にはいれば買ってきてくれた。
仏間で寝てしまえばタオルをかけてくれた。
冬場洗濯した冷たい手をあたしの首にもってって驚かされたり・・
最後に会ったのはGWで。
去年7月にダーリン連れて実家に挨拶にいったとき少し呆け始めてたのか
ダーリンの顔みて、Rの顔見て、パパに似てきたねって。
その次は正月だったかな?もうかなり呆けは進んでたけれどまだ覚えててくれてた。
みかんとってちょ~って。
みかん与えていいのかわからなかったけど寝たままのばーちゃんにみかん渡した。
そして最後にあったGW。もう病院にいて駐車場から3階の部屋にいるばーちゃんの声が聞こえた。
おーい、おーい。だれか~って。
病院のうぐいす嬢だって、ずっとずっと寝てる時間以外だれかを呼び続けてるからだった。
このときももう年寄りだからいつ逝くかって。
今までも痩せてて骨と皮だったけれどさらに骨と皮になってしまったばーちゃんをみてられなかった。
もうあたしの名前さえ出てこない。けれどママの娘だってことはわかってくれてた。
その後、肺炎になったり、感染症になったり何度も何度も危篤状態になり復活した。
そして8月1日他界した。
死因は誤嚥(ごえん)らしい。最後の理由が・・かなしい。老衰したわけでもなく病気でもなく誤嚥。
苦しかっただろうに・・。
でももう苦しまなくても居たくない近所の家(※病院。呆けで近所の家と思ってた)にいなくてもいい。
やっと開放されたんだよ。
帰りたかった家に帰れたんだ。
よかったね、ばーちゃん。

たくさんの思い出をありがとうね。
そろそろおじいちゃんには会えたかな?迎えにきてるんじゃないの?
あんたとは一緒にならないって言ったらしいけど(笑)
葬儀にいけなくてごめんね。
Yが外出できるようになったらお線香あげにいくね。
ばーちゃん、おつかれさまでした。
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